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真光寺は 浄土真宗本願寺派 のお寺です

みじかな法話

浄土真宗本願寺派の僧侶、宇佐美嘉浩(法名釋嘉心)がみじかに起こったこと、感じたこと、思ったこと等
みじかくお話するコーナーです。みじかな法話(法話でないこともあります)
宇佐美 嘉浩(うさみよしひろ)真光寺衆徒 1968年広島県呉市出身 ダンスはおどれません。
人身(にんじん)受けがたし今すでに受く 仏法(ぶっぽう)聞きがたし今すでに聞く(礼讃文:三帰依文)

お聴聞(おちょうもん)

 浄土真宗では”聴聞に始まり 聴聞に終わる”と言われるほど、お聴聞が大切です!と言われています。
聴聞(ちょうもん):この漢字は両方ともに”きく”と書きます。この聴くは、自分からきこうとする”きく”であり、
補聴器やお医者さんが使用する聴診器の漢字にも使われています。
 こちらの”聞く”は、自分が聞こうとしてなくても、聞こえてくる”きく”であります。夜寝てますと、どこからか?救急車の音が聞こえてきます。自分が聞こうと思わなくても聞こえてくる・・・。活動報告写真
 私がお参りの時に使用している”お念珠”(おねんじゅ)は仏教の学生時代に友人からプレゼントされた物です。
このお念珠はしゃべりませんが、このお念珠を見てると、おい!頑張っとるか!?お互いに頑張ろう!と聞こえてきます。

 さてお聴聞には”心得”というものが存在します。三つあるのですが・・・。
一:このたびの このご縁は、初事と思うべし
 色々なお話を聞いていますと、またその話?またその話ですか!?と同じ話に出会うことが多々あります。私の高校時代にも、とある先生が同じ話を良くして下さいました。当時はまたその話!?と思って居ましたが、お蔭さまで知らず知らずのうちに覚えておりました!

一:このたびの このご縁は、我一人のためと思うべし
 お話には色々な話がありますけれども、常に自分の事、我がごとに置き換えて、感じさせて頂く、お味わいさせて頂きましょう!ということなんですね・・・。TVを見てましても面白おかしいいのは他人事として見てるからなんでしょうね・・・。我がごととして考えると・・・怖いことが沢山ありますが・・・。

一:このたびの このご縁は、今生最後と思うべし
 この世の中には坂道が三つあります。登り坂・・・下り坂・・・そして”まさか”です。何がおこるかわからないのがこの世の中です。この私の命も、明日あるか?わかりません。
”明日ありと思う心の 仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは” ですね!
 
称名 (2021年5月)
写真:真光寺境内


老眼

活動報告写真

 眼鏡を二つ持っている私。日常生活で常にかけている眼鏡と車の運転をする時の眼鏡です。
先日、視力の違和感を感じて眼科で見てもらいました。すると普段かけてる眼鏡では、0.2程しか見えてないことが判明!

1.0程になるように新レンズに変更すると、良く見えるようになりました。が・・・近くの文字が見えにくく新聞だとその眼鏡をはずしたほうが、はっきりと見えるのです・・。

と眼科の先生に話しますと
「ああ・・大丈夫ですよ 老眼ですから!」
ろ・・ろう・・ろうがん・・・涙。
そういえば先輩の方々も眼鏡を頭にかけ新聞や雑誌を読まれてたなあ・・・。
生・老・病・死・・・確実に歳を重ねていますね。私もそういう歳になったのかあ・・・自分がその状況に置かれてはじめてその方々の気持ちがわかりますね・・・。
 これから更に歳を重ねるごとに 腰やひざ等に・・・違和感や筋肉痛などが出てくるのでしょうね・・・50年以上も使わせていただいているのですから・・・有難う!からださん!(笑)

 私たちはいつも自分中心、自己中心的な”眼鏡”をかけています。常に自分を中心に考えて日常生活をしています。
今日はお天気で・・天気が良いね! 今日は雨か!天気が悪いね・・・等。雨が降ったほうが良い方は、まったくの逆となります。
 更には煩悩まみれなこの私。いつも、いかり・腹立ち・そねみ・ねたんでおるこの私。
 
 ”煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は よろずのこと みなもって そらごと たわごと 
    まことあることなきに  ただ念仏のみぞ まことにて おはします”
 (あらゆる煩悩がある私たち そしてまるで燃え上がる家のように 激しく移ろいやすい
  この世界は すべてが嘘、いつわりであって 何ひとつ真実はない ただ南無阿弥陀仏だけが 真実なのである)
 と御開山聖人(親鸞聖人)は言われています。

 私たちの南無阿弥陀仏、お念仏は”称名念仏(しょうみょうねんぶつ)”と書きます。ですからこの私が自分の力
(自力)で”唱える”念仏ではありません。同じ”となえる”でも漢字も意味も違います。
仏さまの方から、この私に至り届いて下さり、仏さまからの”称える”お念仏です。つまりは仏さまがお念仏となってこの私の口から出てくださっておることであります。いつでも、どこでも仏さまと一緒です。

称名(2021年5月)
写真:真光寺境内 紫陽花


チータオ鳥(法蔵館:新仏教童話全集より)

活動報告写真

 石造りの立派なお寺の庭に、木がこんもり茂って、涼しい木陰をつくっていました。
今日も、その木陰に町の人たちが集まってきて、涼んだり、昼寝をしたりしていました。
真昼のうちは、目まいがするほど暑くて仕事が出来ないからです。
 するとその時、バタバタと羽の音がして「チータオ チータオ」と悲しそうに鳴くチータオ鳥の鳴き声が聞こえてきました。
皆は驚いて声のした方を振り向きました。
裸の子供たちに追い立てられたチータオ鳥が、綺麗な羽を広げて、逃げ出しては”ぽとり”と地面に落ち、また飛び立っては”ぽとり”と落ちていました。

チータオ鳥の首から胸へ、一本の細い綱が結びつけてあって、その綱の先に小石が結わえてあるから、重くて飛べないのです。
チータオ鳥は悲しそうに鳴きながら、それでも少しずつ向こうへ向こうへと、小石を引きずって逃げていきました。
大人たちはこれを見て、げらげらと笑っています。その時、粗末な白い服を着た男の人が、どこからともなく駆け寄ってきて「おうおう、可哀そうに・・・」と言いながら、チータオ鳥をそっと抱き上げました。
裸の子供たちは怒って「僕たちの鳥だよ。おじさん返しておくれ」といいます。
 「そうだ、君たちの鳥だね」その人は優しい目つきをして、子供たちに言いました。
 「それでお願いだが、この鳥をおじさんに売ってはくれないか」
「そんな鳥、その辺にいっぱいいるのに、なぜ欲しいの」
 「逃がしてやって、その時の鳴き声を聞きたいんだ」 
「へえ、変わってるな」子供たちは、顔を見合わせてずるそうに答えました。
「売ってほしいのなら、売ってあげるよ」
 「ありがとう」お金を払うとすぐにその人は、チータオ鳥をぱっと空へ逃がしてやりました。そして飛んで行くチータオ鳥の鳴き声をじっと聞きながら言いました。「ほら、さっきの鳴き声とずいぶんちがうだろう」
「うん、違う大違いだ」
 「きっと喜んでいるんだよ。弱いものをいじめて笑ったりしなで、皆が喜んで暮らせるような、そんな世の中だと
いいんだがな。皆でそんな世の中にしようじゃないか」
「うん、うん」子供たちは目を輝かせて、心からうなずきました。

「僕たち、もう決して生き物をいじめたりしないよ、だってチータオ鳥が悲しそうに鳴いているより、あんなに嬉しそうに鳴いている声を聞いている方が、うんと楽しいものね」
木陰でその話を聞いていた大人たちも、げらげら笑ったりしていた自分が恥ずかしくなり、本当にその通りだと思いました。
白い服の人が行ってしまった後、ひとりの子供がふいに大声で怒鳴って、皆をびっくりさせました。
「粗末な服を着ていたけれど、王様かもしれないぞ そうだ王様だ、きっとそうだ」
 今から二千二百年も前、インドのマカダという国のアショッカという王様の話です。

称名(2021年5月)
写真:真光寺 屋外納骨堂”無量光”


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