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真光寺は 浄土真宗本願寺派 のお寺です

みじかな法話

浄土真宗本願寺派の僧侶、宇佐美嘉浩(法名釋嘉心)がみじかに起こったこと、感じたこと、思ったこと等
みじかくお話するコーナーです。みじかな法話(法話でないこともあります)
宇佐美嘉浩(うさみよしひろ)真光寺衆徒 1968年広島県呉市出身 ダンスはおどれません。

四苦八苦

新型コロナも一時期よりは落ち着きを見せつつありますが、まだまだ活動報告写真予断を許さない状況が続いています。引き続き手洗い・うがい・マスク等、予防に努めたいものです。
この度の国内外の状況を見てますと改めて生・老・病・死を考える事になった様に思います。
お釈迦さまが説かれた”四苦八苦”です。四苦とは生・老・病・死です。
:この世にご縁いただきますと、色々な事があります、思い通りにならない苦しみも一つです。
:老いる苦しみです、毎日鏡を見ている私、歳を重ねている様には感じませんが、一秒一秒確実に老いていっています。
:病気になる、病気の苦しみ。
:死ぬる苦しみ。

 八苦とは、先ほどの四苦に加えて
愛別離苦(あいべつりく):愛する人とも別れなければならない苦しみ。
怨憎会苦(おんぞうえく):嫌いな人いやな人とも出会わなければならない苦しみ。
求不得苦(ぐふとっく):求めても得ることが出来ない苦しみ。欲しいと思っても得られない。
五陰盛苦(ごおんじょうく):以上のような人間自体の苦しみ。が”四苦八苦”です。

 本願力(ほんがんりき)にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
 功徳(くどく)の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし
親鸞聖人は和讃を残されています。
お念仏のご縁に遇い、阿弥陀さまのお救いのはたらきの中で生きている人は、この世の中をむなしく過ごす人はいません、阿弥陀さまの功徳がその人に海のように満ち溢れるようになるからです。
汚れた水のような煩悩(私)も、そのはたらきをへだてることは無いのです。

どうぞいつでもどこでもお念仏(南無阿弥陀仏)申させていただいて、ああ一人じゃない、いつも仏さまと一緒なんだなあと、感じさせて頂きながら、お味わいさせて頂きながら、お浄土までの道のりを仏さまと一緒に歩ませていただきたいものであります。
称名 (2020年7月)


お盆

活動報告写真

 この私の命を振り返ってみますと(正確には命あっての私、生かされている私)父と母がいてくれたからこそであります。その父と母にもそれぞれに父と母がいてくれた、祖父母になります。これを十代さかのぼってみますと二人が四人、四人が八人、八人が十六人とたった十代さかのぼるだけでも千二十四人の方が関係して下さっているんですね。
 この千人の中の誰かと誰かが出会わなかったり、誰かと誰かが結婚しなかったり、何かひとつでも掛け違えていたなら、この私はここに存在しないことになります。この命は奇跡です。父と母はもちろん、祖父母、さらにはずうっと先にお浄土へ往生(往き生まれる)された方々へのご恩、また感謝の気持ちがお味わい出来るのではないでしょうか!?
 さて何年か前の月忌参り(毎月のご命日のお参り)時のお話です。おばあちゃんのお宅様(ご主人を先に見送られた)です。仏説阿弥陀経のお勤めが終わり、お茶を頂きながら世間話をしてましたら、おばあちゃんがこんな事をおっしゃられたんです。
「うちのはいつになったらこっちに還って来て、またいつになったら向こうに行くんやろうかね?わたしゃひとりになったけん、寂しゅうなったわ」と
 (ああもうすぐお盆だなあ 8/13になったらこっちの世界にしゅうっと還って来て、また8/15になったらしゅうっと向こうに行くような、どこかでそんな話を聞いた事があるなあ)と思いながら次のようにお話ししたんです。
「ねえ、おばあちゃん、浄土真宗の仏さまは、8/13にこっちに還って来て、8/15になったらまた向こうに行く様な、そんな期間限定の仏さまじゃあないんですよ!いつでもどこでもどんな時でも、ナンマンダブ・ナンマンダブとお念仏申させて頂きますとね、いつもこの私に寄り添ってくださってるんですよ、ですからね、おばあちゃん、一人じゃないんですよ!」とお話させて頂きました。私であれば父と母、そして祖父母、更には多くの仏さまがいつも寄り添ってくださっておることであります。ひとりじゃない、いつも南無阿弥陀仏仏さまと一緒です。称名(2020年7月)


鬼滅の刃

活動報告写真

 娘の影響、また、この度のstay homeで鬼滅の刃を読ませて頂きました。人間鬼殺隊)とが対決するお話です。人間の主人公「竈門炭治郎」の人柄に心打たれながら読み進めていきますと、鬼は藤の花が苦手、藤の花である下り藤の家紋の家では鬼殺隊を休ませてくれたり、食事を捕らせてくれたり介抱してくれるのです。藤の花、下がり藤の家紋は浄土真宗の家紋でもあり引き込まれてしまいました。
更に聞けば、お念仏南無阿弥陀仏)とお称えする鬼殺隊や、私たちの拠り所の浄土三部経のひとつ仏説阿弥陀経をお称えする鬼殺隊がでるよ!と聞き、更に熱が入ってしまいました。
 鬼は前記で述べた四苦八苦(生・老・病・死)が無いのです。
何十年、何百年と永遠に生き続けられる、例え腕を斬られても脚を斬られてもまた再生されるのです。
ふっと我にかえり私自身を思い返しますと、歳をとりたくない、病気になりたくない、死にたくないと思っています。
 更には、いつも怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心がいつもわいてきます。これが煩悩です。
つまり鬼はこの私の煩悩なんですね、夫婦喧嘩をする時にお互いが鬼になっちょらせんですかね?
普段はやさしい人、思いやりのある人でも喧嘩になると角がはえてくる。
 仏教とは仏に成る事、成仏する事です。煩悩()をして仏と成る事です。
残念ながら、この私の力では煩悩(鬼)を滅する事は出来ません。仏さまの他力本願にすべてをおまかせするほかないのです。ただただお念仏申させていただくほかないのです。
 悪を悪とも思わずに、罪を罪とも思わずにのうのうと生きているのがこの私です。そんな私だけれども、そのままでいいよ!そのまま救いとるからね!といつも願ってくださっておるのが仏さまです。
 「老いることも 死ぬことも 人間という儚い生き物の美しさだ 老いるからこそ 死ぬからこそ 堪らなくいとおしく尊いのだ」 鬼滅の刃 煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう) 称名(2020年7月)


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