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真光寺は 浄土真宗本願寺派 のお寺です

みじかな法話

浄土真宗本願寺派の僧侶、宇佐美嘉浩(法名釋嘉心)がみじかに起こったこと、感じたこと、思ったこと等
みじかくお話するコーナーです。みじかな法話(法話でないこともあります)
宇佐美 嘉浩(うさみよしひろ)真光寺衆徒 1968年広島県呉市出身 ダンスはおどれません。
人身(にんじん)受けがたし今すでに受く 仏法(ぶっぽう)聞きがたし今すでに聞く(礼讃文:三帰依文)

宝くじ

 福岡県も梅雨に入りじめじめした日が続いていましたが、今週は晴れマークが続き”梅雨も一休み”って感じです。
暑くもなく、寒くもなく気持ちがいい今日この頃です。コロナさえ無ければ・・・。
活動報告写真
 さて皆さまは”ドリームジャンボ宝くじ”はお買い求めになられましたでしょうか?
私は忘れなければバラを10枚程、買うくらいですかね?
今は前後賞あわせて5億円・・5億円・・・なんですね、すごい!
あたらん、あたらん!と思いますが、また買わないと確率はゼロ、買わないと当たるのも当たらないですからね。

 現在は緊急事態宣言中の為か、コロナ禍の為か、そう見ないですが、ひと昔前は天神の某宝くじ売り場には、長いながいすごい列が出来てましたよ。(どこで買っても当たる確率は同じだそうです)
 
 もし宝くじが当たったらどうしましょうか?
家を建てたい、修復したい、車を買いたい、高級車に乗ってみたい・・・色々な夢が広がります。考えるだけでも楽しいですね!
夢があっていいですね(笑)
 
 3分の1は貯金して、3分の1は両親に、3分の1はお世話になった方々へお返しを・・・。と思っていても実際に本当に当たったらこれは私の物、全部私の物よ!となってしまうのです。

 私たち人間は、いつも常に、四六時中、欲しい欲しいと次から次へと欲しがるのです。お金持ちになりたい・・・美味しい物を食べたい、頂きたい、健康でありたい、いつまでも若さを保ちたい、顔のしわが気になる・・・等々。
欲しい欲しい・・・欲(よく)と書きます。私たち誰もが持つ煩悩です。

 煩悩の殻に覆われ、欲しい欲しいの執着(しゅうちゃく)の心から逃れられないんですね
執着の執の漢字は幸(しあわせ)に丸(まる)と書きますね。お金や健康や名誉などを幸せと勘違いし、これらは私の物よ!と丸で囲って放したくなくなるのです。

 お金に頼ればお金によって苦しめられ、健康に頼れば、思い通りにならないと不満やいら立ちが起こります。腰が痛いひざが痛い、こんなはずじゃなかったのに・・・。頼りになりそうでならない物に頼っても、誰も助けてはくれません。

 このままの私を、ただただ仏さまにおまかせし、只々お念仏申させて頂くほかありません。

称名 (2021年6月)
写真:真光寺境内 紫陽花


倶会一処(くえいっしょ)

活動報告写真

 先日、あるお宅さまで満中陰法要(四十九日)のお参りがありました。お参り後、お遺骨を納骨したいと言うことで、とある墓地まで一緒にお伺いしました。
 
 納骨式のお参りも終わり、駐車場まで歩いておりますと色々なお墓が目に入ることであります。
普通のお墓、洋風なのから、洋画に出てきそうなお墓、今はお墓も色々あるんだなあ・・・。

 お花が枯れているお墓やそのお墓の周りだけ雑草が生えて手が入ってない所や、見るからに無縁になってしまってるお墓など・・。
ついつい歩きながらですが、色々と見てしまい、残念な気持ち、悲しい気持ちにもなったりしました。
 
 そういった点ではお寺の納骨堂って良いと思います、雑草は生えないし、夏は涼しく冬は暖かくお参りが出来るし
何よりも毎朝、毎夕、住職によるお勤めがあり、納骨堂にはお念仏が絶えないところです。

墓石に”南無阿弥陀仏”と刻まれています。・・・あっ!ここのお宅さまは浄土真宗の方だなあ・・・。ここにも”南無阿弥陀仏”ここも浄土真宗の方だなあ・・・。と
しばらく歩くと墓石に”倶会一処(くえいっしょ)”と刻まれています。ああここのお宅さまも浄土真宗だなあ・・。と

 倶会一処(くえいっしょ):私たちの拠り所のひとつ浄土三部経の”仏説阿弥陀経”に出てくる御文であります。

何年か前にテレビを見ていますと、四国の香川中央病院のお医者さまが出演されていました。A先生とさせて頂きます。そのA先生は色々なお話をして下さいました。
中でももっとも印象に残ったのが、A先生のお母さまが亡くなる、往生する四日前に、”会葬御礼”は自分が書きたい
ということで、そうする事としたそうです。

 今までにあった色々な事に対する感謝の気持ちや、今まで出会った方々へのお礼の言葉などなど、書いてあったそうです。その最後の行に、この様に書いてあったそうです・・・「ああ うれしい もうすぐ両親にあえる」と。
残された A先生は、会えない寂しさはあるものの、逆に気持ちが和らいで安らいで、満足感の方が大きかったそうであります。

 倶会一処(くえいっしょ):ただただお念仏申すものは、お浄土でまた会える と仏説阿弥陀経に説かれています。

死んで終わるような、むなしい人生を生きているのではありません、この世のご縁が尽きる時、お浄土へ仏として救われる、そして、お浄土でまた共に会える人生を生きているのです。
このままの私を、ただただ仏さまにおまかせし、只々お念仏申させて頂くほかありません。

称名(2021年6月)
写真:真光寺境内 紫陽花


蓮如上人

活動報告写真

 月忌参り(毎月のご命日のお参り)やご法事、お通夜や葬儀の時に必ず拝読させて頂きます”御文章”。

御文章とは:浄土真宗を開かれたご開山聖人(親鸞聖人)から数えまして、第八代ご門主さまの蓮如上人。この蓮如上人の時代に当時のご門徒の方々に宛てられたお手紙です。

お正信偈をお勤めするように、また御文章を拝読するようにしたり、浄土真宗を広め、構築され、浄土真宗の中興の祖と言われています。

 お寺のお内陣では真ん中が阿弥陀如来の仏さま。右隣は親鸞聖人のご影。反対側の左隣が蓮如上人のご影を御安置しています。ご家庭でのお仏壇も一緒です。
この蓮如上人と同じ時代を生きられた一休さん。二人は中の良いお友達だったそうです、だからでしょうか?色々なお話が残されています。

 ある日、一休さんが村の松の木の横に、このような張り紙を出されます。
”この松の木はくねくねと曲がっておるが、まっすぐ見えた者には褒美をつかわせよう”と

 村の人々は何とかして”褒美”をもらおうと、松の木がまっすぐ見える場所を探します。
周りを見たり、横から見たり、上から見たり、真上からみたり、どこかまっすぐに見える場所はないか?一生懸命探します。

 が・・・どこから見てもまっすぐに見える場所はありません。何とかしたい村の人々は”蓮如上人”に相談することにしました。
蓮如さん・・・そういう事なんですが・・・どうでしょうか?と
蓮如上人は、なるほど!この松の木じゃなあ?ふむふむ・・・。としばらく考えて、見えたぞ!と

「この松の木はくねくねと曲がっておるなあ」と答えました。

村の人々は一瞬何のことなのか?意味がわかりませんでしたが・・・。ひとりの村人が・・そういうことか!この松の木のそのままを見て、”この松の木はくねくねと曲がっておる” 松の木のそのままを見て、まっすぐ見た・・か・・・。なるほど!と解決したそうであります。

この私は煩悩に覆われている為、何かあると”何で?””どうして?”とすぐに私のフィルターを通してものごとを
見てしまいがちです、楽しいこと、怒ること、悲しいこと、色々な事があります。
そのままを受け止めさせて頂きながら
このままの私を、ただただ仏さまにおまかせし、只々お念仏申させて頂くほかありません。

称名(2021年6月)
写真:真光寺お内陣蓮如上人


過去のみじかな法話 2020年7月号
過去のみじかな法話 2020年9月号
過去のみじかな法話 2020年10月号
過去のみじかな法話 2020年12月号
過去のみじかな法話 2021年2月号
過去のみじかな法話 2021年4月号
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