浄土真宗本願寺派の僧侶、宇佐美嘉浩(法名釋嘉心)がみじかに起こったこと、感じたこと、思ったこと等
みじかくお話するコーナーです。みじかな法話(法話でないこともあります)
宇佐美 嘉浩(うさみよしひろ)真光寺衆徒 1968年広島県呉市出身 ダンスはおどれません。
人身(にんじん)受けがたし今すでに受く 仏法(ぶっぽう)聞きがたし今すでに聞く(礼讃文:三帰依文)
某Fテレビにて〈劇場版「鬼滅の刃」無限列車編〉が放送され、今までの放送分も再度TVで放映され、更に続編の遊郭編も地上波で放送されるということで・・・また鬼滅の刃が盛り上がってきたなあと思う今日この頃・・・。
こんな私も娘たちの影響で映画も拝見しましたし、漫画本も最終巻まで読ませて頂きました。
えっ!そうなの!?と思うところや、色々な感情で心豊かに拝見しました。Fテレビのアニメ続編が楽しみであります。
と、こんなことを思う少し前の事です。
あるお宅さまでご法事を終え、お茶を頂きながら、おばあちゃまと世間話をしていましたら、お孫さんが来られ、どうやら私に聞きたいことがある。との事。
お話をお聞きしますと、岩柱の悲鳴嶼 行冥(ひめじま ぎょうめい)が南無阿弥陀仏と書かれた”はっぴ”を羽織っているけど、その南無阿弥陀仏って何ですか?どういう意味なのでしょうか?という質問でした。
私も大ファンでもありますので、そこから時間も忘れ話が盛り上がったのは言うまでもありません。好きなキャラクターや感動した場面などの話や・・・
私の鱗滝(うろこだき)さんのものまねで・・・”炭治郎!・・この岩が切れたなら・・最終選別に連れて行こう!”
私のカラスのものまねで・・”カー・・カー・・炭治郎・・今すぐ天拝山(てんぱいやま:近所の山です)にゆけ!”
少し調子の乗ってしまいましたが、おじさんのくだらないものまねで、笑って下さり有難うございました。
ここでは音声が流せないのが残念です(笑)
話がそれてしまいましたが、南無阿弥陀仏とは?
南無阿弥陀仏とは・・・仏さまそのものであります。”あなたをほおっておけない!どうか私の名前を呼んでおくれよ!
必ずお浄土へ仏として救いとるからね!”と南無阿弥陀仏のお念仏となって、音の仏となっていつも私たちに寄り添って下さっております。どうぞお念仏もうさせて頂きながら、いつも仏さまと一緒の日暮しを送らせて頂きたいものでございます。南無阿弥陀仏(称名)2021年10月
写真:武藤 昭雄様 撮影(2020年12月27日:JR九州鹿児島本線にて)
先日テレビにて”衝撃・・〇〇映像!!”と題して色々なVTRが流れていました。
ある男が、お賽銭箱に足をかけ、大胆にもノコギリで賽銭箱の格子部分を切っている映像です。
そうです!お賽銭泥棒です!
誰もいない!と、大胆不敵な犯行ですが、防犯カメラが犯行の一部始終を捉えていたのです。
この映像により彼は御用となったとの事です。
まんまんちゃが見とるよ!と子供のころよく祖父母に言われたものです。
誰もいない!と思っても、その行いは仏さまが見て下さっておる。
残念なことですが、彼の心にはまだ仏さまのご縁がなく、心にまだ仏さまが宿っていなかったのですね・・・。
しかしながら、この彼にも仏さまは、”どうか気づいてくれよ!どうか気づいておくれよ!と願いをかけてくださっています。この彼もいつしか・・・必ず、悪いことをしてしまったなあ・・・。と気づく時が来ることでしょう!
こんなに仕事をこなし、頑張っているのに、誰も評価してくれない!
誰もいない所で、こんなに庭の草むしりを頑張っているのに!
ひとりで資料作成をしたのに!何年も仕事を頑張ってるのに! どうして!?なんで?
など・・・・。
と思うことなかれ!!
あなたの頑張りは、必ず誰かが見てくれています。少なくとも仏さまは見てくださっています。
そしてその行いは、必ず返ってきます。あなたに返って来ないかもしれませんが、必ずお子さん、お孫さんに返ってきます。
”仏さまが、見てくださっておる、それで良いではないか”
と私たち夫婦は、いつも言いあっています。称名 2021年10月
写真:真光寺本堂のご本尊さま(阿弥陀如来さま)
迷信です!
夜つめを切ると(今みたいに電灯もない時代)
よく見えないので、深づめをしてしまう、けがをしないように!との思いから出来たもの、と聞いたことがあります。
迷信ですからね、夜につめを切ったからといって死に目に会えないなんて、そんな事はありません。
思い返してみますと、私たち夫婦は父と母、妻のご両親ともに死に目に会えていません。・・・が
死に目に会う・・・よりももっと大切なものがある様に思うのです。
”親孝行・・しようと思うと・・親はなし”
という言葉もあります。
今、出来る事を、精一杯する・・・・がよく妻が言う言葉です。
お義父さん、お義母さんが施設に入居(時期はそれぞれ別)すると、家から施設まで車で往復約1時間の道のり、毎日訪問し、食事に寄り添い、入れ歯のお手入れ、クリームで手足をマッサージしたり、あごひげにシェーバーをあてたり
果物やおやつ等、持参したりもしていました。
残念ながら妻は両親の死に目に会えませんでした。が、今まで精一杯やった、やり切った気持ちからか、悔いは無いとの事で、これだ!と妻に気づかされました。
会えるにこしたことはないのですが・・・・。
”死に目に会う”よりも大切なもの・・・。
この世に生を受けさせて頂きますと、必ずこの世のご縁尽きる時がやってまいります。
それは私が先か、妻が先か、はたまた、あなたが先か、いつなんどき、何が起こるかわからないのが、この世であります。どうぞ悔いが残りませんように・・・一日いちにち感謝しながら生活を送らせて頂きましょう。
称名 2021年10月
写真:真光寺境内(仏桑華:ぶっそうげ)
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